彼らは知ることなく、悟ることもなくて、 暗き中をさまよう。 地のもろもろの基はゆり動いた。
基が取りこわされるならば、 正しい者は何をなし得ようか」と。
わたしは言った、 ヤコブのかしらたちよ、 イスラエルの家のつかさたちよ、聞け、 公義はあなたがたの知っておるべきことではないか。
そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。
彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、
兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。やみが彼の目を見えなくしたからである。
そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
すべて悪を行う者は悟りがないのか。 彼らは物食うようにわが民をくらい、 また主を呼ぶことをしない。
しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。
そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
それゆえ、公平は遠くわれわれを離れ、 正義はわれわれに追いつかない。 われわれは光を望んでも、暗きを見、 輝きを望んでも、やみを行く。
万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家であり、 主が喜んでそこに植えられた物は、 ユダの人々である。 主はこれに公平を望まれたのに、 見よ、流血。 正義を望まれたのに、 見よ、叫び。
悪を行う者は悟りがないのか。 彼らは物食うようにわが民を食らい、 また神を呼ぶことをしない。
わたしはまた、日の下を見たが、さばきを行う所にも不正があり、公義を行う所にも不正がある。
知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。
悪しき人の道は暗やみのようだ、 彼らは何につまずくかを知らない。
地とすべてこれに住むものがよろめくとき、 わたしはその柱を堅くする。〔セラ
われわれはただ、きのうからあった者で、 何も知らない、 われわれの世にある日は、影のようなものである。
主は王となられた。 もろもろの民はおののけ。 主はケルビムの上に座せられる。 地は震えよ。